長い間、日本にはリーダーがいないと言われ続けてきました。

そのため日本ではこの30年、リーダー待望論が叫ばれ、リーダーを作ろうと躍起になってきました。

そして今、期待通りにリーダーは生まれているのでしょうか?

そんなことありません。
なぜ日本でリーダーが生まれにくいのか、今回はそんな話をしたいと思います。

目次

  1. リーダーは有名無実が良い。
  2. 1990年代からのリーダー待望論
  3. 今のフォロワーは、義務を果たさず権利だけ主張している。

リーダーは有名無実が良い。

日本はリーダーよりもフォロワー(部下)が重要な国です。
これは近代に始まったことではありません。古くからずっと。

平安時代を舞台にした大河ドラマでも描かれていましたが、
朝廷から指名されて地方に赴任した国司が仕切ろうとしても、郡司を筆頭とし他地元民(フォロワー)が抵抗します。

国司はやる気を出さなくてよいのです。
有名無実じゃないと困る。
地元の有力者である郡司がすべて取り仕切っているので、余計なことをしないでほしいわけです。

このように、日本は歴史的にリーダーは有名無実、フォロワー(部下)が重要な国でした。

1990年代からのリーダー待望論



しかし、アメリカにいるようなリーダーがほしいと思い始めたのが1990年頃。
リーダーを作ろうと躍起になり、アメリカのリーダー養成プログラムであるMBAが大流行。
社命でMBAを取得した人が大量生産されましたよね。
日本は必死になってアメリカにいるような強烈なリーダーシップを持つ人材を作ろうとしてきました。

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しかし、日本はエリートは評価されない文化です。

それなのに、フォロワーで成立している国だということを忘れ、
日本もアメリカのマネができると誤解して、リーダー待望論だけが独り歩きしていました。

その結果、日本を支えてきたフォロワーシップ(部下としてのあり方)は崩壊しました。
現在はフォロワーとしての義務を果たさず、権利だけを主張する人が増えています。

今のフォロワーは、義務を果たさず権利だけ主張している。

フォロワーが権利を主張すること自体が問題なわけではありません。
フォロワーの地位が著しく低く位置づけられていた江戸時代でさえ、幕府の命を受けた代官があまりにもひどいと

「あの悪代官をなんとかしてください!」

と直訴すること、つまり百姓一揆を起こすことで権利を行使しました。

直訴された悪代官は切腹確定です。
しかし、訴えた方も切腹。この時代のフォロワーはその覚悟があって直訴していました。

今のフォロワーはその覚悟もなく、
「◯◯ハラスメント」だから飛ばしてくれ、と主張するだけです。
義務を果たさず一揆だけ起こしている状態。

これが、ここ30年ほど躍起になっていたリーダーシップ待望論の結果です。

これまでフォロワーによって支えられてきたのに、
この30年は急激にリーダーシップ重視に偏りすぎました。

この揺り戻しは必ず来ます。

↓詳しくは過去コラムで

古くから日本を支えてきた良きフォロワーシップが復権する時期が来ます。

いまこの瞬間、「自分ファースト」で権利だけを主張していると自覚している方は、いますぐに見直しましょう。

来たるべき正しいフォロワーシップの時代への備えをおすすめします。