最近の潮流は、前回の「ホワイト化」ともうひとつ「新自由主義的な考え方からの揺り戻し」があります。
今回はこの「新自由主義的な考え方からの揺り戻し」についてお話します。
「自己責任」と「努力が足りない」
ここ10数年くらい、日本はアメリカから流れてきた「新自由主義」の考え方が主流になっていました。政府の経済への介入を抑え、自由競争によって経済の効率化や発展を実現すべきという考えが元になっていて、日本でも金融制度の緩和や雇用政策の緩和が行われました。
そして、日本では自由を手に入れるからには、「結果は自己責任」という論調が強くなっていました。
例えば、2004年にイラクで日本人3人が武装集団の人質となった事件。解放された彼らが帰国した際、強烈な「自己責任だ」というバッシング。
また、小泉内閣で行われた労働法の改正で、派遣労働の自由化が進み、これによって非正規雇用が一気に増えました。同時にワーキングプアなどの問題が出て、年末の日比谷公園などで炊き出しを受ける非正規雇用者や路上生活者がニュースになりました。
これも「自己責任」だと。
彼らは職業選択の自由の中で、あえて非正規雇用を選んだのだから、それに対する責任は彼らにある。
また、同時に「努力が足りない」という言葉もセットで使われています。
彼らが正社員になれず、賃金の安い非正規雇用になったのは、自由な競争の中で彼らが努力をしてこなかったから。努力が足りないから非正規雇用で働くことになったのだから、それは自己責任だ、と。
「自利ファースト」を公言することは、むしろ良いことだったこの10年。
そうなると、自己責任だから自分は努力をしなくては、と考えるようになる人が増えました。
受験勉強を頑張って難関大学に行く。
難しい資格を取ってキャリアアップを目指す。
自分をスキルアップさせてくれる環境を探すために人脈を作る。
それらはすべて、自分の利益のために。
組織のために働く暇があったら、自分の成長のために働く。
「年功序列」「終身雇用」を約束され、組織のために働くことが当たり前だった日本企業もこの波に飲み込まれています。
「成果主義」とか「実力主義」を標榜し、会社員として組織に所属しながらも、起業家のようなマインドを持って仕事をするべし、と言い出したのです。
昔ながらの日本的働き方、日本式の経営は、もう時代にそぐわない!
そのため、ここ10年くらいは、そんな「自利ファースト」で自分の成長を第一優先にしていることを公言することは、むしろ「良いこと」とされてきました。
極端に振れると、必ず揺り戻しが来る。
しかし、そんな極端な流れは、必ず揺り戻しが来ます。
歴史は揺り戻しの繰り返しです。つい最近でもコロナ禍の際、リモートワークがもてはやされ、出社して働くなんて非効率だ!出社しなくても仕事ができることをみんなわかってしまったから、この流れはもう戻ることはない!
と言われていましたが、結局揺り戻しが来て、出社すべしとの流れになっています。
いま、自分のことだけを考えることがスタンダードになり、組織を良くしようと考えて働く人が極端に減りすぎました。
そこから揺り戻しが来つつあります。
新自由主義的な考えからの揺り戻しは、前回お話した不可逆のホワイト化の流れにプラスされ、大きな潮流になると思われます。
「自利ファースト」ではなく「利他ファースト」を心がけるべし!
今後、「自利ファースト」を大きな声で公言することは危険です。
勉強をしたり、難しい資格を取ったりするのは、自分の成長だけでなく所属組織に貢献するため。そして、所属組織が社会に貢献できるようにするためです。
組織、ひいては社会のことを考える「利他ファースト」の姿勢を心がけることが、これからはマストになります。
これまで「自利ファースト」で立ち振る舞ってきた人は、大きく戦略を見直す必要があります。
物価高などで国内の多くの人(マジョリティ)が生活防衛で四苦八苦する中、「能力が高いのに自利ファースト」な人達に向けられる視線は、さらにますます厳しくなるからです。どんなに高い能力があっても、これからさらに進むホワイト化の波を乗りこなすことは極めて厳しい。
そのことを客観的に認識し、積極的に「利他ファースト」の行動を起こすことで、これまでのブランドを変えていきましょう。