日本社会は、無数の小さなムラが複雑に絡まっています。いわば、「国中が“サイロってる”」状態。

しかし、デジタル&グローバルの世界においては、日本のサイロ化は「弱みでしかない」と言われています。

とんでもない。

体力がない日本人がサバイバルするには、ムラサイロに細かく分かれて同調するしかありませんでした。
つまり、「サイロ化」は、日本人の強みであり智慧なのです。

→日本人にはサイロが向いていることについて、以前も書きました。ぜひご覧ください!

「サイロ」が生き残っている歴史と理由がある。


日本人は、「サイロ化」の反対語と言える「大集団化」「標準化」「統一ルール」には、まったく向いていません。

それは、開国して明治時代になってからの150年、ひたすら「欧米社会をコピペする実験」をやった結果からも、証明されています。

欧米コピペ実験を繰り返した結果、現在も生き残っているサイロには、それぞれに生き残っている「歴史」と「理由」があるのですが、それをリスペクトせずに、

「外資SaaSでは・・・」
「アメリカのユニコーンでは・・・」
「P&G出身の先生がおっしゃるには・・・」

など、生き残っているムラサイロの現状を全否定することから始めるコンサル企業(もしくはコンサルタント)が次々と登場しています。

しかし、組織や個人の行動様式や働き方を変えようとする時、現状を否定することから始めては、何も変わりません。

「なぜこうなったのか」

歴史と理由を知ることが変化への第一歩です。

平成初期、日本は輝いていた。


歴史について近年を振り返ると、平成の世になった1989年、日本は輝いていました。

1989年12月29日、日経株価は史上最高値(3万8915円87銭)を更新。
同じ年に、石原慎太郎氏とソニー会長の盛田昭夫氏の共著「NOと言える日本」が大ヒット。

日本経済の勢いはすさまじく、それによる日米貿易摩擦が起きていましたが、アメリカのビジネスを批判し、日本のビジネスが優位である、との論調が渦巻いていました。

しかし、それから程なくしてバブルと呼ばれた経済は崩壊。

株価は一気に落ち込み、半値以下に。2008年の7162円90銭を最低値に現在は上昇傾向ではありますが、1989年の栄光は遥かに遠い数字です。株価が表すように、日本経済は停滞し続けてきました。

「失われた30年」を繰り返さないために。

この30年は、「失われた30年」と言われます。

なんとか、失われた30年を取り戻さなければ。変わらなければ。

そう考えることは素晴らしいのですが、「なぜ失われたのか」の歴史と理由を知らずに、

《全体最適》
《標準化》
《トランスフォーム》
《チャリンチャリンモデル》
《囲い込み》
《ナーチャリング》
《刈り取り》
《ライフタイムバリュー》

このような一瞬(あくまで一瞬)耳あたりの良いワードを連発する「コンサル」の言うとおりに、現状のムラサイロを否定して変革を促しても無駄です。

また30年、あっという間に浪費します。失われます。

では、なぜ「失われた30年」となってしまったのでしょうか?その歴史と理由を、次回からお話していきたいと思います。