これまで、何度か「なぜ日本ではDX(Digital Transformation)が進まないのか?」というテーマについて、お話してきました。今回は、少し異なった視点から、DXが日本人に向かない理由をお話したいと思います。
「良かれと思って」の「良かれ」は、人それぞれ。
まず、どんな行動にも、どんな発言にも、その根底には「良かれと思って」があることを、私たちは改めて認識する必要があります。
「あんなことをする人が『良かれ』と思ってやっているとは、とても思えない。」
「そんなことを言う人が、『良かれ』と思って言っているとは、とても思えない。」
と感じたとしても、「良かれ」と思う対象は人それぞれ。その人が「良かれ」と思っていることが、自分にはとても受け入れられないことだってあります。逆もしかり。
この「良かれと思って」の「良かれ」が、経営側と雇われ側ですれ違っていることが、DXが日本で進まない理由のひとつです。
相手が何を「良かれ」と思っているのか?
経営側がDXを推し進めようとしたとき、面従腹背で抵抗する従業員(雇われ側)がいたとします。
それは、「ダメ役員の間違った改悪を阻止しなければ」という「良かれ」に満ちあふれていることが多い。
経営側にとっては「改革」の「良かれ」が、従業員にとってはとてもそうは思えないから「改悪」です。
従業員には経営側の「良かれ」が伝わっておらず、「またアピールのための思いつきかよ」としか思われていない、ということです。
ここで大事なことは、従業員の抵抗に対して
「うちはアナログ化石のダメ従業員ばかりだ!」
と、断罪するとまったく前に進みません。
従業員が何を「良かれと思って」、ここまで抵抗するのか?どんな理屈や信念を持っているのか?
ということを知るほうが、改革は前に進みます。
相手を知ることは、正当性を与えることではない。
これは、従業員の行動や言動に正当性を与えるものではありません。
経営側にとって、従業員の抵抗が不当だと感じ、それと戦うのであれば、
従業員が何を、どんな理由で、正当だと思っているのか、そこを知るべき、ということです。
敵を知ろうとしないのは、大日本帝国時代を引きずっているようなもの。
戦時中に日本は、米国が敵国だから英語を使うことを禁じました。
敵を理解しようとせずに、思考停止を選びました。
その大日本帝国だった時代を未だに継続している組織では、
「敵が何を『善』だと思い込んでいるのかを知るべきだと?
敵にも正当性があると言うのか?
きさま、スパイだな!」
と、逆に断罪されることがあるとかないとか。
こんなことをやっていては、DXなんて夢のまた夢。結果、DXはいくら経営側が旗を振ろうが、いつまで経っても進まないのです。
元陸上競技選手である為末大さんも、「どんな相手であっても、行動や言動の意図を理解しようと思うなら、『誰もが良かれと思ってやっている』との前提に立つことが大事」と、Facebookで語っていました。
「侵略者は血に飢えた悪の帝王」
「権力の座が長すぎて発狂している」
と断罪し、相手が何を正当と思っているのか知ろうとしない限り、解決にならないのではないか、と示唆されています。
「良かれ攻撃」から身を守るために必要なこと。
人間の作為/不作為のほとんどは、「良かれと思って」行われている。
対象と良いの基準が人によって違うだけで、誰もが「良かれ」と思って行動している。
戦争はもちろんのこと。
企業をめぐる諸々のありえないダメ事件も。
個人間の確執も。
誰もが人それぞれの基準の「良かれ」に基づいて行動しているけど、その「良かれ」がすれ違っているのです。
この「良かれ攻撃」から身を守り、終わらせるためには、まず最初に「この人は何を『良かれ』と思っているのか?」を知ることです。
そうすれば、少なくとも前に進みます。